ハイキューに救われた話

今日は我が推し牛島若利の誕生日だったね(入力時)。おめでとう。眉毛が可愛いね。

高校生の時、携帯のめざましを牛若の「怖くない。」にしていたら、家族に怖がられた。止めるまでリピートしていたからね。

 

 

投稿を迷っていたものを、推しの誕生に投稿しようと思う。

 

 

ハイキューに関してはほかの漫画より一際思入れが強い。兄が読んでいたジャンプをいつも借りて読んでいた私は少女漫画より少年漫画の方が趣味に合っていた。

そんな中、黒子のバスケを読んでいた私は超次元スポーツの世界線に慣れてしまった私は、言ってしまえばかなり現実的な少年漫画にあまり惹かれなかったのだ。

しかし、ジャンプは全頁読むものと教育を受けていた私は毎週欠かさず読んでいた。

 

 

そこで私の生活に変化が。ここからは少々長くなる。

学校内でのいじめだった。話せば少しややこしいが、私にも非がある話だ。

その中学はバドミントンの強豪校。毎週練習が5日ある。

私の家はかなり経済的に厳しく、よく携帯や光熱費を止められていた。

その日私は午前中友達と近くで遊んでいた。

事情がありその日の夜の部活を休んだ。しかし携帯が止まっているため電話もできない。

田舎だから公衆電話もない。

明日学校へ出席したら皆に説明しようと思い、その日を終えた。

次の日、バスに乗ったら同じ部活の子が近くにいたので昨日のことを説明しておこうと声を掛けたら何故かよそよそしい。他の同じ部活の同級生もどこか冷たかった。冷や汗が出た。部活が好きだった私が初めて行くのが少し嫌になった。

そして部活。私以外の部員たちは足早に体育館に向かい、私は一人で向かった。

体育館に挨拶して入ると私以外の部員15名弱が円状になり座っていた。入ってきた私を睨むなり、「ここに座って。」と伝えてきた。手が少し震えた。私の予想が外れれば良いと願った。何かの連絡事項だ、と。

「昨日なんで部活に来なかったの。」とキャプテンが。

私は理由を説明した。

朝バスでよそよそしかった同級生(Aさん)が「でもBちゃんと遊んでたんでしょ?」と

私はそこも踏まえて説明した。家がご近所だから少し会ったと。

「なんで連絡しなかったの。」「……。」

携帯が止まることは普通はあり得ない。

説明するのが恥ずかしかった。でも、勘違いされるのは嫌だと思い説明した。鼻で笑われた。涙が出そうだった。私のことよりも、親をバカにされているような気がして。

その話は、そこで終わりだった。さあ、練習だと思いシューズを履こうとしたら呼び止められた。話は終わっていなかった。

学校での私の生活を同級生に指摘された。

クラスの合唱練習のことだ。自主的にパートリーダーになったA子ちゃんは正直あまり上手ではなかった。パートごとに先生の前で歌っている時私ともう一人だけが合格を貰っていた。そこで一度自主練時に同じパートの子達に音程を指摘したことがあった。大体はお礼を言ってくれて、逆にどんどん聞いてくれて来てくれた。

しかしその行動を部活の際指摘されたのだ。

「私のことをバカにしている発言をしている。」と。

それ以外にも、ほかの子達から「私のラケットをバカにされた。」

「自分を守ろうとしている発言しかしていない。」

普段から口調が強い私はそんなつもりはなかったと謝った。

しかしどんどん嘘偽りの話が出てくる、「そんなことをしていない。」と伝えても

誰も信じてくれなかった。

話はまとまらず、私が謝るだけの話し合いになった。

 

 

夜ごはんが入らなかった。

親の顔が見れなかった。

 

 

次の日学校に行きたくないと、泣いて頼んだ。

滅多に泣かない私が大声をあげて泣いているのを驚きながら慰めてくれた。

理由を説明した。

両親は謝ってくれた。それさえも悔しかった。一生懸命働いているのを知っているのに、部員たちに否定されているような感覚がしたのだ。

しかし「部活のことは先生にお母さんが説明しておくから学校にいて授業は受けなさい。」と。何回か断ったが、頑なにそれを許してくれなかった。

学校まで送ってくれた。部活のことは自分の口から説明すべきだと思うから自分で説明する、母にはそう伝えた。

 

 

 

そして放課後、担任の先生に時間を頂き相談した。

内容は簡単だ。無視される。一人だけ部の連絡事項が回ってこない。ラケットバッグを真似されたと言われ、否定したらそのデザインはダサいといわれた。最後のものに関しては力を込めていった。親が汗水流して買ってくれたものを、決して安くはないものを否定されたからだ。それを担任は最後まで聞いてくれた。

 

 

 

「それはお前の勘違いだ。」

 

 

 

頼みの綱が切れた瞬間だった。何も聞いてはいなかったのだ。

取り敢えず部活に行け。と言われた。

呆然とし嫌な場所に向かい、挨拶をして入った。

突然怒鳴られた。部活前に今日の自分の目標を一斉に叫ぶらしい。それを早くやれと怒られた。同学年でこの新しいルールの情報を共有していたらしい。私を除いて。

次の日から約1年間不登校になった。病院にも通った。

その時にもハイキューが、ジャンプが居た。

古舘先生が描く青春は凄くリアルで、言葉が綺麗だった。

2年後半にもなると高校受験のことが頭によぎり、徐々に私を焦らせた。両親が私の事で喧嘩しているのも聞こえていた。私がこんな風になったからと自分を何回も攻めた。

もう私なんかいない方がみんな仲良く居られる。死にたい。

最悪な考えが頭をよぎり始めた。

そんなとき、ハイキュー78話で田中冴子が言った言葉が私の荷物を少し軽くしてくれた。

 

 

 

「回り道には回り道にしか咲いていない花がる。」

 

 

 

日向達に向けた意味合いとは少し異なるが、当時の状況と妙にマッチしていた。

焦らなくていいんだと、心に余裕ができた。

今は決して無駄な時間を過ごしてるわけじゃないんだ、私にはこの時期が必要なんだと。ポジティブに考えられた。単純すぎるだろうか。でも死ぬよりはいいだろう。

両親に部活はもう諦める事を伝え、両親も私の好きなようにしていいと賛成してくれた。

そこからどんどんハイキューにはまり、毎日連絡をしてきてくれていたBさんともアニメの話で盛り上がった。彼女は当時研磨と影山を推していた。今は黒尾らしい。

しかし学校へ向かうスクールバスの音を聞くとおなかが気持ち悪くてしょうがなかった。Bさんも毎日色んな話をしてくれた、そんな時ちょっとしたきっかけができた。

学校でアニメ、漫画にはまってる人が増えてきたから私と話したいと思っている人が居ると。私の中では嫌な部活はないし、話してくれるBさんもいる。ただ担任の顔を見るのと、1年も休んでいたから注目されるのが嫌なだけだった。

午前の授業だけ出席する形で次の日登校することを決めた。

やはり朝が来ると体調が崩れる。

けど、決めた事なのだ。嫌でも取り敢えずは制服に着替えようと、クリーニングに出したばかりの綺麗な制服に腕を通した。

入学式の日を少し思い出した。期待で胸がいっぱいだった、綺麗な心の感覚だ。

車で母親が送り届けてくれた。

嫌なら1限だけでも大丈夫だからねと声を掛けてくれた。

 

 

教室に入るとやはり目線は集中する。滝のように汗が出てきた。アイロンをかけてくれたブラウスも背中に張り付いた。

俯きながら自分の席へ移動するとバド部の子達が男の子何人かとこちらを見ながら話していた。吐き気がした。やっぱり帰ろうと出していたペンケースを鞄にしまおうとしたとき、B子さんやその友達が「ハイキューどこまで見たの?誰が好き?あ、因みにお菊さん読書するから牛若ラミネート加工したんだけど、栞にどう?」と私が答える前にどんどん質問を投げかけてきてくれたのだ。

うれしさと1人ではない安堵に目頭が熱くなった。

 

相変わらず担任や先輩は当時と何も変わらないけれど、仲良くしてくれる友達ができたのが何よりもうれしかった。進んだ勉強も教えてくれた。

私が1人になりそうな時はすぐ隣に来てくれていた。

私は遠くを見過ぎていたようだった。遠くの分かり合えない人たちにばかり気を取られ、近くにいた寄り添ってくれる人たちには気付こうとしなかったのだ。

Bさんとは今でも友達で、親友である。彼女は死ぬまで大事にしたい友達だ。

 

 

最近いじめや誹謗中傷はどんどんエスカレートしていることをニュースで知る。

SNSが発達し、思ったことを指先一つで世界に発信できる。

その指先一つで誰かを勇気づけ、命を救えるかもしれない。

しかしそれで命を落とさせることもそれだけ簡単になったのだ。

好きな気持ちや悲しい気持ちを伝えるのは自由。現代社会、SNSに愚痴をこぼすことでストレスが発散されている方も少なくないはずだ。しかし、誰か特定の存在を否定し傷つける言葉を発信することが自由なはずがあってはいけない。

またそれを無視している周りも同罪だ。

そのことを少しだけでも頭に入れていてほしい。

 

 

今年、ハイキューは完結し物語は終わった。

一抹の寂しさはあったが、日向達の成長を最後まで応援出来て良かったと思っている。

古舘先生、お疲れさまでした。そして助けていただきありがとうございました。

このお礼が風の噂で届けばと思います。